スピリチュアル関係では、よく気づきが大切と言われます。
それは、なぜなんでしょうか?そんな疑問から思いつくままに・・・
気づけと言われてもねー。そんな声もクライアントから返ってきそうな気もします。柔軟な思考をする人とか・・素直に人の話に耳を傾ける人とか・・身体的にも柔らかい人とか・・の方が気づきは早いように思います。完璧症の人とか、潔癖症の人とか・・生真面目な人とか・・の方が遅いように思います。また、スポーツ好きな方や趣味をもって楽しんでいる方は、心身のバランスがいいので、気づきも良いように思います。
人間って頭だけで生きているわけではないのですが、情報過多の世にもまれているうちに、どうやら脳のほうでそう思ってしまっているのでは?と思ってしまうくらいに心配になる時があります。
話は変わりますが、私は「ゆとり教育」の趣旨をある意味肯定していました。(もちろん、√をイコール3などと教えることに関しては論外ですが。)総合教育が本当の意味で運用できたら、子供の目はもっと輝くのでは・・・というのが理由です。
例えば 小学1年生に「タンポポ」を教えると仮定します。
簡単な行程を考えてみました。
・・・始めに「タンポポ」はいつの季節でどういう所に生えているか、図書館や家庭から本を収集し、みんなで考える。ノートにメモしてみる。次に「タンポポ」を採取に行く。帰ってから「タンポポ」を絵に描く。利用した本と比べて修正する。そして、「タンポポ」の利用の仕方を考える。友達やお父さん、お母さんとのお話会をもうける。それを聴いている内に知識も広がり、時には「昔はな・・・」とお父さんが話し出す。タンポポと原爆の話になるかもしれない。西洋タンポポと日本のタンポポの話から・・・ちょっとはずれてザイリガニだってアメリカザリガニだけじゃないんだぞーと話し出すかもしれない。・・・「へー!お父さんってすごいんだー」「ヘー知らなかった!もっと調べてみよう」(これは気づきの始まりと言ってもいい!)・・・・となるかもしれない。
全行程が終わってみると国語、理科、家庭科、図工・・もしかすると社会科も・・・の勉強を身をもってやっていたことになる。こうなったら身につく楽しい勉強になることまちがいなし。身につく教育であり現今忘れ去られた教育だろうと思う。なにより、頭も心も手も足も使って全身で考える教育。3年生くらいまではこんな教育をして欲しいな。心身のバランスもいいだろうなー。これが、身についてきたら工夫も遊びも気づきも「言わずもがな・・・」かもと夢想してしまう。これが「ゆとり教育」の真髄と思っていたものだから・・・・
さて、また、お話が変わって
「うつ」っぽいなと思った時は心身のアンバランスに因あり。自律神経のバランスがくずれだし、脳はベーター波が多くなり、緊張感が増えだしやがて眠りが浅くなってくる(ウルトレデイアンリズムが狂い出したため)。1週間もすれば立派な?「うつ」症状にもなりかねない。そんな時は、休憩にかぎる。あるいは、誰もいないところでいいから笑い飛ばす。両手を空いっぱいかかげて「ワッハッハ」・・・木や花に「だっこ」してもらって土いじり・・・外の光を浴びるだけでも・・・木々の緑。空の青。川のせせらぎ。水の音。自然の生命力の恩恵をこうむると「生命」が体内に流れてくる・・・「なんていうここちよさ。」
こんな時、小さいときから自然と楽しくふれた勉強をしてくれていたら、大人になった今でもきっとどこかで心身の悲鳴に気づいてくれるに違いない・・・そんな思いの「つれづれなるまま」のお話でした。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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